「大宰府」レポ by なぎさん

「大宰府政庁」編



大宰府(だざいふ)

*福岡県太宰府市
  福岡県の西側、福岡市から南東へ約16kmの位置にある市です。


源氏物語<玉鬘>巻より


   その御乳母の夫、少弐になりて、行きければ、下りにけり。
   かの若君の四つになる年ぞ、筑紫へは行きける。


 夕顔が行方不明になったのが玉鬘、3歳の年。
夕顔の乳母の夫が大宰少弐として大宰府へ赴任することになり、乳
母も夕顔の遺児である玉鬘を連れて筑紫へ旅立ったのでした。
玉鬘、4歳のことです。

 乳母の夫が少弐として大宰府に勤めていたことから、玉鬘もおそら
く乳母一家と大宰府近郊で幼少時代を過ごしたと思われます。(その
後、肥前へ移り住みました。)


 玉鬘の他にも、源氏物語作中には大宰府と縁のある人物が登場し
ていますよね。

 そもそも、源氏が、玉鬘の母である夕顔と出会うきっかけになった
のも、五条の“大弐乳母(=惟光の母、夫が大宰大弐か)”を見舞い
に行ったことからでした。    ⇒ <夕顔>巻より

 また、源氏が須磨・明石で過ごしている頃、末摘花の叔母は“大弐
(=大宰大弐)の北の方”であり、末摘花を筑紫へと誘いましたが、
末摘花は拒み、源氏の帰京を待ったのでしたね。⇒ <蓬生>巻より

 
 源氏とかつて交流のあった“筑紫の五節”は大宰大弐の娘で、源氏
と歌を交わしたり、おりにふれ源氏が五節のことを思いだしたりしてい
ます。源氏にとって忘れがたい女性なのでしょう。
 ⇒<花散里><須磨><明石><澪標><少女><幻>巻より


 そして、大宰府を訪れた(左遷された)平安時代の実在の人物とい
えば、菅原道真、源高明、藤原伊周・・・等が思い出されます。


 いろいろな立場で大宰府と縁のあった人物に思いを馳せつつ行って
まいりました太宰府♪ヽ(^o^)丿

 まずは、夕顔の乳母の夫が大宰少弐として勤めた「大宰府政庁」へ
ご案内いたします。



大宰府政庁跡(だざいふせいちょうあと)
   <都府楼跡(とふろうあと)ともいいます>


    
  福岡県太宰府市観世音寺四丁目
    ・まほろば号 バス停 「大宰府政庁跡」下車すぐ
    ・西鉄電車 天神大牟田線「都府楼前」駅下車 徒歩約15分
    ・西鉄電車 太宰府線「太宰府」駅下車    徒歩約30分



写真は「都督府古址」(「都督府」とは「大宰府」の中国風の呼び名。
「大宰府」の表記については、下記(注)をご覧下さい。)

 大宰府は九州全体を治め、大陸との防衛・外交を司る重要な役
所でした。
 現在では、大宰府政庁跡は史跡公園として整備され、お弁当を
広げる家族連れやグループが訪れる憩いの場となっています。

 政庁は南から北へ、南門・衛門舎・中門・東脇殿、西脇殿・正
殿・後殿・東楼、西楼・北門があり、中門と正殿は回廊で結ばれ
ていました。

 現在、礎石として見られる建物群の跡は、「藤原純友の乱」に
より焼かれた(941年)のち、十世紀後半に再建された第V期の
ものだそうです。
 
 
 史跡公園では、正殿と中門とを結ぶ回廊跡は舗装されており、
南門・北門からそれぞれ東西に伸びる築地跡には柘植(つげ)
の木が植えられていることから、およその規模を体感できるよう
になっています。
 その形態をみていますと、京における大内裏の「朝堂院」を彷
彿とさせます。 

「政庁図」(byなぎさん)


注)この図は、『大宰府史跡発掘調査30周年記念特別展
 「大宰府復元」』(九州歴史資料館・平成10年10月23日発行)に
 掲載されていた政庁第V期 の図とパンフレット等に掲載されている
 政庁模型の写真を参考にして、なぎ が書いたものです。

 正確なものではございませんので、学術的な資料を求められる方は
 専門書をご覧下さいませ。<(_ _)>

 

 政庁では儀式が行われ、正殿の南に広がるスペース(=内庭)に
役人達が集ったと考えられます。
 京の「朝堂院」になぞらえるならば、大宰府政庁の正殿は朝堂院に
おける「大極殿」のような役割を担っていたのでしょうか。

 正殿からいろいろな角度で眺めた写真をご覧下さいませ。政庁の規
模を感じ取っていただけることと思います。

   正殿から東側の回廊を見る  正殿から西側の回廊を見る
   
 正殿から南東を見る  正殿から南を見る  正殿から南西を見る


 正殿の後ろには後殿があり、後殿の北東には東楼・北西には西楼
があります。
  南門から北門まで歩いてみても、結構、距離がありますよ〜。

 ≪南門と北門の中心間の距離は211メートル、東西の回廊の中心
間の距離は112メートル弱≫です。
 
  [≪ ≫内、『平安時代史事典』(角田文衞監修・角川書店)
  “大宰府”の項より]

 たくさんの礎石が並んでいますが、すべてがレプリカというわけでは
なく、奈良・平安時代の礎石もかなりの数があるのだそうです。

 ちょっと いびつな形 の石が当時の礎石だそうですよ。
 実際に柱を支えていたと思われる礎石を触りつつ、いにしえの“遠
の朝廷(とおのみかど)”の姿に思いを馳せてみたのでした。

写真で見る「大宰府政庁」へ

(注)

ダザイフ(大宰府・太宰府)の表記については、以下のように使い分
けています。

・『大宰府』→歴史的なもの、役所名、官職名としてのダザイフ
  (例:大宰府政庁、大宰大弐、大宰権帥、大宰府展示館...etc)
  
・『太宰府』→現在の地名としてのダザイフ
  (例:太宰府市、太宰府天満宮、西鉄太宰府駅...etc)


●参考までに
 福岡県太宰府市のサイトでは 「大宰府」と「太宰府」の違いについ
て書いておられますので、ご興味をお持ちの方は ご覧下さい。

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